1987年(昭和62年)の懸賞情報「エスキモーアイスクリーム 原宿の人気ショップトレーナープレゼント&さゆりまつり」
2月に入りバレンタインデーが近づいてきました
2月14日は1年に1度、思いを寄せている人に好きな気持ちを伝えるため、チョコレートを渡す日として定着しています。
昭和の頃は、女子にとって自分のすべてをかけて好きな男子に告白をする「勝負の1日」でした。
どこからともなく「〇〇さんが〇〇君に告白するんだって!」とうわさが流れてくることもあり、心の中でがんばれ!!と祈ったものです。
結果は色々でしたが、思いを伝えたというだけでも意味があり、この先何かあった時にまた勇気を出して行動できるきっかけになると思っています。
最近のバレンタインデーのことは全くわからないのですが、今も本命の方にチョコをあげるで良いのかな?
義理チョコ、友チョコ(私の学生の頃はありませんでした)、自分へのご褒美チョコなど様々ですが、2月14日をぜひ楽しんでください!
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1987年(昭和62年)エスキモーアイスクリームのキャンペーンです
最初に簡単に森永乳業(アイスクリーム)について
1917年(大正6年)後の森永乳業となる日本煉乳株式会社を設立
1949(昭和24年)森永乳業株式会社設立 1959(昭和34年)アイスクリーム=夏からの脱却。アイスクリームケーキを発売。
1965(昭和40年)当時は珍しい分けあえるアイスクリーム、「ソーダアイス」が売れ筋商品として注目を浴びる。
1976(昭和51年)ロングセラーブランド「pino」の販売が開始。ナッチョコジャムンチョも。
1979年(昭和54年)オランダ・ユニリーバ社と技術提携、アイスクリームブランド「Eskimo(エスキモー)」立ち上げ。
1980年(昭和55年)日本におけるマルチパックアイスの草分け的存在「ミニミルク」が販売開始。
1983年(昭和58年)アイスクリームケーキ人気を牽引「ビエネッタ」発売。
1984年(昭和59年)日本初の板チョコ入りアイスクリーム「チェリオ」発売。
1990年(平成2年)「イタリアンジェラート」が販売開始。練って食べるという新しい食べ方を提案し、支持された。
2003年(平成15年)MOW誕生!
2005年(平成17年)PARM誕生!練乳シリーズも。
2010年(平成22年)エスキモーブランド廃止。既存製品は順次森永乳業ブランドに変更。
1979年(昭和54年)「Eskimo(エスキモー)」を立ち上げ
世界レベルの高品質で楽しいアイスクリームの提供を目的として、森永乳業が(当時)世界最大のアイスクリームメーカー・ユニリーバ社と技術提携を行った際に作られたブランドです。
2010年(平成22年)エスキモーブランドを廃止
「今まで以上に効果的なブランド体系を作り上げるため」という理由だそうです。
既存製品は順次森永乳業ブランドに変更しています。
現在はブランド創設当時から発売されている『ピノ』のほか、『MOW(モウ)』、『PARM(パルム)』などの人気商品を展開しています。
不思議な企業名だなと思っていましたが、エスキモーが森永乳業のブランドだとは知りませんでした。
今回謎が解けました。
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今から約36年前の懸賞情報です
バレンタインデーといえばこの方です!
イメージキャラクターを務めていたこの方が歌うソロデビュー曲は、昭和のバレンタインデーソング代表です!
バレンタインデーが近づいてくると、必ずあちこちからこの曲が聞こえてきました。
「バレンタイン・キッス」
ではご覧ください。
1987年(昭和62年)
「エスキモーアイスクリーム 原宿の人気ショップトレーナープレゼント」
参考:昭和62年「エスキモーアイスクリーム 原宿の人気ショップトレーナープレゼント」広告
キャンペーン詳細
☆応募方法
ピノまたはチェリオのパッケージの所定の部分を切り取り(ピノは「バーコード」部分、チェリオは「板チョコアイス」または「板チョコ入り」の文字部分)、2枚1口としてハガキに貼って応募。
参考:昭和62年「エスキモーアイスクリーム 原宿の人気ショップトレーナープレゼント」広告
☆対象商品
ピノまたはチェリオ。
パッケージにキャンペーンの告知が印刷されています。
価格も印刷されていました。
参考:昭和62年「エスキモーアイスクリーム 原宿の人気ショップトレーナープレゼント」広告
☆当選賞品・当選人数
原宿の人気ショップトレーナー
(フリーサイズ)
合計12000名様
(毎週1000名様、連続12週間)
①パーソンズ
②マック・アンド・マックス
参考:昭和62年「エスキモーアイスクリーム 原宿の人気ショップトレーナープレゼント」広告
③アップルハウス
④ハロー
参考:昭和62年「エスキモーアイスクリーム 原宿の人気ショップトレーナープレゼント」広告
⑤ミルク
参考:昭和62年「エスキモーアイスクリーム 原宿の人気ショップトレーナープレゼント」広告
☆応募期間(終了しています)
昭和62年9月14日~12月6日 当日消印有効
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1987年(昭和62年)
「エスキモーアイスクリーム 原宿の人気ショップトレーナープレゼント」について一言
イメージキャラクターは国生(こくしょう)さゆりさんです。
当時20代でした。
参考:昭和62年「エスキモーアイスクリーム 原宿の人気ショップトレーナープレゼント」広告
女優。
1985年(昭和60年)4月に、おニャン子クラブの会員番号8番としてデビューした。1986年(昭和61年)に、シングル曲の「バレンタイン・キッス」でソロデビュー。
国生さゆりwithおニャン子クラブ名義でリリースされている。
約30万枚のヒットとなり、現在でもバレンタインシーズンには定番の曲となっている。1987年3月『夕やけニャンニャン』およびおニャン子クラブを卒業。
夏を待てない、ノーブルレッドの瞬間(とき)、あの夏のバイク、星屑の狙撃手(ほしくずのスナイパー)等のヒット曲があります。
バレンタインデー近くになると、スーパーにチョコレートの特設会場が設けられていましたが、毎年のように国生さゆりさんのバレンタイン・キッスの曲だけがくり返し、ず~っと流れていました。
当時はカセットテープに録音していたものを流していましたが、何年も同じテープを使っていたのか最後の方はテープが伸びきってしまい、もはや国生さんの声ではなくなっていました・・・
その後、チョコレートの特設会場で他の曲が流れることもなく、バックミュージックを流すこと自体やめたようです。
きっとテープが伸びきったことがやめるきっかけになったのだと思いました。
他の曲ではダメなのでしょう・・・
それほど国生さゆりさんのバレンタイン・キッスはバレンタインデーには欠かせない曲でした。
↓広告の写真は少し写りが良くないのですが、この方です。
おニャン子クラブとは?
1985年にフジテレビのテレビ番組『夕やけニャンニャン』から誕生した女性アイドルグループ。
番組内のアシスタントとして同時に芸能界デビューし、3か月後の1985年7月5日に発表したデビューシングル「セーラー服を脱がさないで」がヒットしてブレイクした。以降、おニャン子クラブとしてのグループ名義、メンバーのソロ名義、グループ内で作ったユニット名義などで、シングル、アルバム、ビデオソフト、写真集を絶え間なくリリースして続けてヒットさせ、1980年代のアイドルシーンを席捲した。
1987年8月31日の『夕やけニャンニャン』の番組終了に伴い、翌9月に解散コンサートを行ない、わずか2年半でその活動が閉じられた。
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話は森永乳業に戻しまして、1976年(昭和51年)にピノが、1984年(昭和59年)にチェリオが発売されましたが、それぞれ100円でした!
1987年もピノとチェリオは100円でした。
昭和に登場した商品が今も変わらず販売していて、しかも値段もそれほど変わらなかったというのはありがたいことです。
ただ、今後はニュースなどでも取り上げられていましたが、森永乳業が家庭用アイスや飲料、ヨーグルトなど全146品を3月1日出荷分から順次、値上げすると発表しています。
「ピノ」は150円が160円(税別)になるそうです。
残念ではありますが仕方ないです。
それにしてもピノが1個160円(税抜)?
アイスも気軽に食べられなくなりそうですが・・・
バレンタインデーには食べましょうか。
気を取り直して昔の懸賞情報は続きます!
何か明るい情報を探してみます。
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